
3年ぐらい前、精神的にも、肉体的にも追い詰められ、とてもつらい時期がありました。生きていられるのは、チャンスとチッチとくろじが唯一救いだという時期があったのです。
このままでは、今まで長い年月をかけて築いてきたものまで投げ捨てて逃げ出してしまいたいという感情に押し流されて、すべてをダメにしてしまうと思った下僕は、実家に帰ることにしたのです。
今のこの地に引越すことを決めた時も、電話で報告した母親は、「お前の人生なんだから、お前の決めたようにすればいい」と寂しそうに答えただけでした。
顔を会わすこともなく引越してしまったので、夏に2泊3日ぐらいであわてて帰ったのですが、今度は大好きな冬にゆっくり帰りたかったのです。
久しぶりに会った母親も父親も少し老けたようでしたが、お互いに二人だけの生活を助け合って生きているようでした。
1ヶ月ぐらいの帰省予定でしたので、下僕としては、あまり迷惑をかけたくなかったので、食事の支度や後片付けを手伝うと申し出たのですが、何故か母親は頑として、「お父さんと二人で分担してやっているから、何もしなくていい」の一点張りで何もさせようとしませんでした。
母親は、朝早くから働いているのに、悪いなぁと思いつつ、下僕は、色んな意味で疲れきっていたので、「ラッキー」ぐらいにしか考えていなかったのです。
そんなある日、両親とも外出している時に、母親の友人が訪ねてきたので、下僕が対応したのですが、その方は、帰った後、電話で下僕の母親に「あの娘は体を壊して療養にでもきているのか」と尋ねたそうです。
そんな、話を聞いたのも、下僕が明日には飛行機に乗って戻らなくてはならないという日でした。
やはり寂しいのか、「行くな、北海道へ戻って来い」と言いたいのを堪えているのか、目に涙を浮かべながら、早口でとりとめもないことをしゃべり続けるのです。
下僕も、内心では「戻りたくない。」と思っていましたが、言葉にだせば、戻ることが二度とできなくなると自分で分かっていたので、心の中で「必ず、1日も早く帰ってくる」と誓っていました。
その時に初めて、母親は、
「夏に帰ってきた時も、ひどい顔をしてたから、今回は、少しはましになってるかと期待してたけど、帰ってきたときのお前の顔は本当にひどかった。
○○さんに病気なのかって言われて本当に悔しかったんだよ。
だから、お母さんは、お父さんと相談して、今回、ここにいる間だけでも、お前には何もさせないでゆっくり休ませようと決めたんだよ
まだ、満足できるほどじゃないけど、それでもここに帰ってきたときよりは少しは顔にも肉が付いてきたし、ましになった」と、
一人で満足げに頷いているのです。まるで母は一人で何かと闘っていたようでした。
下僕は、ショックでした。口には1言も出さなかったのに、母親と父親はそんな相談をしていたんですね。
帰省中、母親は、聞きたいことも、言いたいことも一杯あったでしょうが、一切何も聞かず、言わない姿勢を崩しませんでした。
仕事や人間関係やその他、なんで突然実家に帰って来る気になったのか。
下僕の性格を知っている母親や父親は、そんなことも下僕のストレスになるとでも思ったのでしょうか。
ただ、娘の顔をみて察したんでしょうか。
「親の心」と他人は美化して言うけれど、下僕にとっては初めてこれが「親の心」というものなんだと思いました。
感情や自分の気持ちを押し付けるのではなく、もちろん理解してくれと求めるものでもない、ただひたすらに娘を思いやってくれる心なのだと。
下僕が疲れきっているからと言って、顔をみて察して、何も言わずに、こんな「心」を与えてくれるのは、自分の親以外に、存在しません。
初めてこの人たちが自分の親で本当に良かったと、実感し、感謝し、親のありがたみが身にしみた出来事でした。
下僕が戻った後、母親は疲れがたまっていたのでしょう。体調を崩し、3日間寝込んでしまったようで、「大丈夫?」と電話での問いかけに「お母さんは大丈夫だから、お前は自分の事を頑張りなさい」と最後まで愚痴1つ、文句1つ言わずに、母親でいてくれました。
下僕の母親は、「うちの娘はこんな性格で迷惑をかけていませんか」と人に対して言える人です。
下僕は「迷惑かけられてるとしたらこっちだし、相手に迷惑をかけているとしても、人間関係フィフティフィフティなんだからそんなこと言わなくていいんだよ」といつも思っていました。
でも、どんな状況であれ、娘に対してどんな思いを自分の心の中に秘めていようが、「うちの娘はこんな性格で迷惑をかけていませんか」と言える母親で本当によかったと思うと同時に、心からこの母親を誇りに思います。
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